新しいりんごのPR、プロジェクト「花嫁」
「最も優しい女性に」
「純粋」
「選ばれた恋」
これは、私がインターネットで見つけたりんごの花言葉です。
「最も優しい女性」という花言葉から、奥さんや母親などを連想し、
「選ばれた恋」からは、結婚や愛をイメージします。
りんごの花言葉を新しい青森りんごのPRとして全面に登場させ、
結婚披露宴や、結婚記念日、バレンタイン、母の日など、
気持ちを伝える場面で、関連したりんごの製品を作り出し、
新しいりんごの消費の形を提案していきたいと考えています。
私が21歳の時に就農して、もう5年になります。
就農したきっかけは、それまでりんご栽培をしてきた祖父が、脳梗塞になったためです。
祖父も父も「長男なんだから農家をやれ」と言ったことはなく、
父もサラリーマンをしていたため、元々農家になるつもりはありませんでした。
高校を卒業後、私は県内で就職したものの、新天地を求めてバイクでの一人旅の末、
横浜市にある古本の販売をしている会社に就職しました。
大きい会社ではないので、自分の頑張り次第で売り上げが変わるのを見て、
仕事が大変楽しくなりました。この時の経験が今の農業経営にとても役立っています。
仕事が楽しくて仕方無かった21歳。その冬に人生を大きく変えた出来ごとがありました。
それが、祖父の突然の脳梗塞です。
家族が祖父の異変に気付いたのが早かったお陰で、
右手が不自由になっただけで済みましたが、
その年に収穫したりんごが出荷されずに残ったままになりました。
その時に母は電話でこう言いました。
「じっちゃん、毎日おめのこと気にしてだんだよ。
おめにも夢があるがもしれない。けれどじっちゃんにも夢があるんだよ。
お父さんじゃなく、おめにりんごとば継いで欲しいんだど。それがじっちゃんの夢なんだよ。」
その言葉で私は就農することを決意しました。平成19年2月のことです。
りんごのことは何もわからず、今思うと、自分は新規就農者と同じ状態でした。
りんごの作業を教えてくれる人は家族にいなく、
様々なことを自分から覚えようとしなければなりません。
しかし、りんごの技術は人それぞれ過ぎて、
どれが本当の技術なのかあやふやなため、失敗ばかり経験してしまいました。
最初の作業は祖父が収穫したりんごの出荷でした。
そこでこれから自分が作るであろうりんごを見て愕然としました。
九州の市場に段ボール詰めして出荷する地元の組合に入っていたのですが、
祖父の育てたりんごは小玉で、安くしか売れませんでした。
資材代や送料を引くと、自分の給料もとれないような経営状態。
農業は儲からないと言われた理由がよくわかりました。
それから私は「りんご」とはどういうものなのかを知ることに専念ました。
「自分自身で売るなら、その道のプロになれ。そうしなければお客さんは買ってくれるわけがない。」
横浜にいた時に社長から教わった言葉を思い出して、
まずはりんごのプロになろうと思ったのです。
引き継いだりんご園の面積は80アールと狭く、
さらに腐乱病という病気になった跡があり、木の皮が削られ、
収量が上がらない木ばかりでした。
りんごの知識がない上に、状態の悪いりんご園を背負わされ、
ハンデばかりですが、その時はなぜかうれしく思いました。
「この苦境を乗り越えるノウハウが身に付いたら、
きっと農業は商売になる。儲かる産業になる」と思ったからです。
この頃は、日中はりんご、夜はスーパーでアルバイト、
車も軽トラ以外乗れず、同年代とはかけ離れた生活をしてきました。
それでも諦めないで頑張れたのは、生きていくのに必死だったのと、
これから農業で生きていくという覚悟があったからです。
就農二年目で大きな転機が訪れました。
これからという時に霜害で収量が半分減り、
残りの半分は雹害の被害を受けてしまったのです。
しかし、その被害を受けたお陰で、
こういった自然災害が起こった時でも収入を確保する術を考えるきっかけになりました。
その年は少しでも単価を上げるために、就農直後から勉強していたJGAPを取得し、
見た目より味を重視した葉取らず栽培を行いました。
この葉取らず栽培で出来たサンフジだけを原料に、
この年からこだわったりんごジュースを作り、自分で販売も始めました。
私には、今育成中のりんごの品種があります。
その中で一番愛情を注いでいるのが「花嫁」という品種です。
りんごの歴史を調べていた時に偶然見つけた品種で、
紅玉や国光といった品種に混じってアメリカからやってきたりんごです。
「花嫁」に出会って、私に浮かんだのははじめに紹介したりんごの花言葉「選ばれた恋」でした。
私は「花嫁」がりんごの花言葉を一番連想出来る品種ではないかと考え、
どうしてもこのりんごを育ててみたくなりました。
まずは青森県りんご研究所に問い合わせをしましたが、もう青森県に花嫁はありませんでした。
しかし諦めないで調べると、盛岡市にある果樹研究所リンゴ研究拠点に花嫁はあったのです。
そして念願叶って2年前に、穂木を3本ほどつくば市にあるジーンバンクから頂き、
12本植えつけることが出来ました。
「花嫁」は、酸味が強くて果肉は柔らかく、玉が小さくて紅玉によく似た品種です。
一昨年、果樹研究所のはからいで、特別に許可を貰って食べさせて頂きましたが
、本当に酸っぱいりんごで、生食より加工向きの品種だと思います。
加工技術が進化し、様々な情報を手に入れられる今の時代だからこそ、
この「花嫁」は販売出来るのではないかと考えています。
今年は80a以外にある、40aの育成園のりんごが実ります。
その他にも弘前市に50aのりんご園を借りることが出来たので、
合計170aの栽培面積になります。
面積は一気に倍になりますが、ようやく農業だけで生きていくことが出来そうです。
資本も技術も無く、農地と住む家だけあった私ですが、
生きるために必死にもがいて、いろいろな人に出会って、
いろいろなチャンスに巡り逢えました。この花嫁もそんなチャンスの一つだと思います。
これからも今まで以上に農業と向き合って行きます。

青年農業者会議の意見発表会で、優秀賞をいただきました!!
最優秀賞はプロジェクト発表の方しかもらえないので、
実質意見発表者の中では一番です。
いやー、嬉しい!!ホント嬉しい!!
今まで名簿でしか一番を貰えなかったんでね(笑)
この意見書を読んでいて、
就農三年目くらいまでの初心を思い出すことができました。
また花嫁への情熱は再燃しちゃいましたね。
来年は早くも花が咲くのかな。
小玉でも良いから、実っておくれ、オイラの花嫁。
「最も優しい女性に」
「純粋」
「選ばれた恋」
これは、私がインターネットで見つけたりんごの花言葉です。
「最も優しい女性」という花言葉から、奥さんや母親などを連想し、
「選ばれた恋」からは、結婚や愛をイメージします。
りんごの花言葉を新しい青森りんごのPRとして全面に登場させ、
結婚披露宴や、結婚記念日、バレンタイン、母の日など、
気持ちを伝える場面で、関連したりんごの製品を作り出し、
新しいりんごの消費の形を提案していきたいと考えています。
私が21歳の時に就農して、もう5年になります。
就農したきっかけは、それまでりんご栽培をしてきた祖父が、脳梗塞になったためです。
祖父も父も「長男なんだから農家をやれ」と言ったことはなく、
父もサラリーマンをしていたため、元々農家になるつもりはありませんでした。
高校を卒業後、私は県内で就職したものの、新天地を求めてバイクでの一人旅の末、
横浜市にある古本の販売をしている会社に就職しました。
大きい会社ではないので、自分の頑張り次第で売り上げが変わるのを見て、
仕事が大変楽しくなりました。この時の経験が今の農業経営にとても役立っています。
仕事が楽しくて仕方無かった21歳。その冬に人生を大きく変えた出来ごとがありました。
それが、祖父の突然の脳梗塞です。
家族が祖父の異変に気付いたのが早かったお陰で、
右手が不自由になっただけで済みましたが、
その年に収穫したりんごが出荷されずに残ったままになりました。
その時に母は電話でこう言いました。
「じっちゃん、毎日おめのこと気にしてだんだよ。
おめにも夢があるがもしれない。けれどじっちゃんにも夢があるんだよ。
お父さんじゃなく、おめにりんごとば継いで欲しいんだど。それがじっちゃんの夢なんだよ。」
その言葉で私は就農することを決意しました。平成19年2月のことです。
りんごのことは何もわからず、今思うと、自分は新規就農者と同じ状態でした。
りんごの作業を教えてくれる人は家族にいなく、
様々なことを自分から覚えようとしなければなりません。
しかし、りんごの技術は人それぞれ過ぎて、
どれが本当の技術なのかあやふやなため、失敗ばかり経験してしまいました。
最初の作業は祖父が収穫したりんごの出荷でした。
そこでこれから自分が作るであろうりんごを見て愕然としました。
九州の市場に段ボール詰めして出荷する地元の組合に入っていたのですが、
祖父の育てたりんごは小玉で、安くしか売れませんでした。
資材代や送料を引くと、自分の給料もとれないような経営状態。
農業は儲からないと言われた理由がよくわかりました。
それから私は「りんご」とはどういうものなのかを知ることに専念ました。
「自分自身で売るなら、その道のプロになれ。そうしなければお客さんは買ってくれるわけがない。」
横浜にいた時に社長から教わった言葉を思い出して、
まずはりんごのプロになろうと思ったのです。
引き継いだりんご園の面積は80アールと狭く、
さらに腐乱病という病気になった跡があり、木の皮が削られ、
収量が上がらない木ばかりでした。
りんごの知識がない上に、状態の悪いりんご園を背負わされ、
ハンデばかりですが、その時はなぜかうれしく思いました。
「この苦境を乗り越えるノウハウが身に付いたら、
きっと農業は商売になる。儲かる産業になる」と思ったからです。
この頃は、日中はりんご、夜はスーパーでアルバイト、
車も軽トラ以外乗れず、同年代とはかけ離れた生活をしてきました。
それでも諦めないで頑張れたのは、生きていくのに必死だったのと、
これから農業で生きていくという覚悟があったからです。
就農二年目で大きな転機が訪れました。
これからという時に霜害で収量が半分減り、
残りの半分は雹害の被害を受けてしまったのです。
しかし、その被害を受けたお陰で、
こういった自然災害が起こった時でも収入を確保する術を考えるきっかけになりました。
その年は少しでも単価を上げるために、就農直後から勉強していたJGAPを取得し、
見た目より味を重視した葉取らず栽培を行いました。
この葉取らず栽培で出来たサンフジだけを原料に、
この年からこだわったりんごジュースを作り、自分で販売も始めました。
私には、今育成中のりんごの品種があります。
その中で一番愛情を注いでいるのが「花嫁」という品種です。
りんごの歴史を調べていた時に偶然見つけた品種で、
紅玉や国光といった品種に混じってアメリカからやってきたりんごです。
「花嫁」に出会って、私に浮かんだのははじめに紹介したりんごの花言葉「選ばれた恋」でした。
私は「花嫁」がりんごの花言葉を一番連想出来る品種ではないかと考え、
どうしてもこのりんごを育ててみたくなりました。
まずは青森県りんご研究所に問い合わせをしましたが、もう青森県に花嫁はありませんでした。
しかし諦めないで調べると、盛岡市にある果樹研究所リンゴ研究拠点に花嫁はあったのです。
そして念願叶って2年前に、穂木を3本ほどつくば市にあるジーンバンクから頂き、
12本植えつけることが出来ました。
「花嫁」は、酸味が強くて果肉は柔らかく、玉が小さくて紅玉によく似た品種です。
一昨年、果樹研究所のはからいで、特別に許可を貰って食べさせて頂きましたが
、本当に酸っぱいりんごで、生食より加工向きの品種だと思います。
加工技術が進化し、様々な情報を手に入れられる今の時代だからこそ、
この「花嫁」は販売出来るのではないかと考えています。
今年は80a以外にある、40aの育成園のりんごが実ります。
その他にも弘前市に50aのりんご園を借りることが出来たので、
合計170aの栽培面積になります。
面積は一気に倍になりますが、ようやく農業だけで生きていくことが出来そうです。
資本も技術も無く、農地と住む家だけあった私ですが、
生きるために必死にもがいて、いろいろな人に出会って、
いろいろなチャンスに巡り逢えました。この花嫁もそんなチャンスの一つだと思います。
これからも今まで以上に農業と向き合って行きます。

青年農業者会議の意見発表会で、優秀賞をいただきました!!
最優秀賞はプロジェクト発表の方しかもらえないので、
実質意見発表者の中では一番です。
いやー、嬉しい!!ホント嬉しい!!
今まで名簿でしか一番を貰えなかったんでね(笑)
この意見書を読んでいて、
就農三年目くらいまでの初心を思い出すことができました。
また花嫁への情熱は再燃しちゃいましたね。
来年は早くも花が咲くのかな。
小玉でも良いから、実っておくれ、オイラの花嫁。
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