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会津ひろきりんご園『紅のりんご農家』ブログ

4/7 発芽 こっから日に日にどんどん進む。



今日は板柳の野中地区にて、

齋藤 彌志則という弘前でも有名な方の剪定会がありました。

斎藤さんは、斎藤昌美さんという、

ふじの育ての親と呼ばれる方のお弟子さんで、

完成されていない昌美さんの技術を、

完成させたと言われている方です。

この方の園地を初めて見たとき、

「自分の今教わっている師匠の理屈が違う」

と思いました。



「質問あるか?」

師匠の言葉にみんな何も言えなかった。

枝切りも4人の手元がいて、

師匠は枝で「ここ」「これをここから」

など、手元に切らせるのみ。

説明なし。

もちろん早い。

正直付いていけなかったです。

これが達人・・・(°_°)



王林の木ですが、

なぜこのような切り方をするのか・・・

普通だったら切らないか、

生えているところから切るかなのですが、

このような切り方が王林の多くに見られました。

どうしてこういう切り方をするか、

今なら意味がわかります。

ようやく6年目でです。

どれだけ難しいんだよ・・・

と思ってしまいます。

難しいというか、奥が深いというか。


この齋藤 彌志則の言葉で心に残ったこと。

それは、

「丸葉は3本隣まで見て切ろ」

丸葉というのは、この大木に成長する木のこと。

コンパクトで縦長なのは、わい化栽培。

この丸葉、わい化に別れています。

丸葉の場合は、3本隣まで見て切ろ。

どういう意味かと言いますと、

丸葉は比較的隣の木との間隔が狭くなり、

ぶつかってしまうことが大半です。

隣の木だけ見て切ると、

その隣にも影響して樹形が崩れたり、

切り過ぎたりして、品質を落としたりしてしまいます。

とやっていくと、

結局丸葉は園地全てを見て切って行かなきゃいけないんです。

なので齋藤 彌志則さんは、一本の木を切るのではなく、

隣も隣も、と、一本を集中して切ることはなく、

隣の隣まで一気に切ることが多いそうです。


実はオラもそのタイプです。

師匠から離れて、自分で切り始めた時、

どうしても隣も気になるんですよね。

そうこうしているうちに、

一本ではなく、ブロックで見て切らなきゃいけないと思ったのです。

「剪定の時、木ではなく、林として見て、森と考える」

って、本に載りそうな言葉にしてみます(笑)

考え方はこの達人と合っていたのかもしれませんが、

技術だけはそう簡単にはいきません(笑)

片付けられない病のオラが、

そういう切り方になっただけですから(笑)

この達人級まで登るには、まだまだまだまだ長そうです(^_^)



その野中地区の会館にあった書です。

良いこと書いているなぁ。

おお、福沢諭吉かぁ。

なるほどな・・・

「秋田義信」∑(゚Д゚)

オラも秋田先生から書を頂いています。

秋田先生から頂いた言葉は

「継農泰家」

農家を継ぐ人がいる家は安泰

という意味だそうだ。

商に走ると、

いつかは会社が潰れる。

形あるものは崩れるから。

でも、農家の場合は金使いが荒かったり、

ギャンブルをしなければ、

食うのには困らないもんだという。

なるほど。

今になると、どういう意味かわかってくる。

いや、歳に応じて、感じる言葉の意味が変わってくるのかもしれない。

書いた時に秋田先生は、この言葉は祖父に書いたと言っていた。

でも祖父が無くなって、

自分で見たとき、自分に言われているような感じてみると、

上のように感じた。

りんごをビジネスとして考えて、

とことん売ってやろうと思って時期もありました。

それだと自分が畑に行けなくなり、品質が下がるんです。

確実に。

畑に一生通った奴と、

スーツを着てる奴とじゃ、

出来るりんごはそりゃ違う。

それに気がついた時に、

日本一を目指さないと嘘だと思いました。

間違いなく、敵は己の中にあり。
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